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2007年 春の全国集会
(火打山北面を滑る)

開 催 日 2007年4月7〜8日
リーダー 斎藤俊二、06年幹事団
報 告 者 野口 いづみ
参加者数 会員51名

今年のアルパインスキークラブの春の全国集会は、シャルマン火打スキー場を利用して火打岳北面で行なわれた。 第1日目はオプショナル・ツアーとして空沢山から西飛山ダムへ降りるコース。 夜は恒例の懇親会。 2日目はメイン・ツアーとして放山を往復した。

4月7日(オプショナル・ツアー)

4月7日、朝8時、権現荘を出発する。 オプショナル・ツアーで、火打山北尾根の空沢山(からさわやま)から西飛山ダムへ降りるグループ16名に入れてもらう。 シャルマン火打スキー場へ車で約20分。 標高500m。 正面に立ちはだかるようにV字型のコースが伸びていた。 クワットで約500mを上り、山頂に着く。 気温は10度で暖かい。

8:50、出発。リフト小屋の裏から30m位下ると沢底で、そこから放山(はなれやま)への登りになっていた。 一登りして、9:30に放山山頂(1190m)に着いた。 眼前には正面に女性的な火打が、その右に男性的な焼山が並びあって、青空の下に一大パノラマを展開していた。(写真1)

写真1:火打と焼山

A

足元からは、前半は幅広い尾根として、後半は痩せ尾根となって、火打山頂へそりあがりなら連綿と続いていた。 本日行く予定の空沢山
(からさわやま)は、その尾根のトーンが切り替わる中間地点の丸いピークで、真正面で支尾根を左右に分けていた。

10:00山頂を出た。(写真2)
写真2:空沢山を目指して

A 多少のアップダウンを繰り返して進むと台地になった。 そこから、尾根や沢筋が複雑にからみあう地形を過ぎ、11:40、平らな所に出た。 眼前の100m程度のピークが空沢山で、9名が山頂に向かった。 15分で空沢山(1420m)山頂に着いた。 木立が多かったが、焼山が正面に見えた。(写真3)
写真3:空沢山からの焼山

A 12:00、下山開始。 登らなかったメンバーの待つ場所まで、気持ちよくザラメ雪にシュプールを刻んだ。(写真4)
写真4:空沢山からの滑降

A ダムが見えるので、おおまかな方向は分るし、急な斜面ではないが、それだけに複雑に尾根が分かれていて、上からはどこがつながっているのか良くわからなかった。 リーダーの斎藤俊二さんは頻繁に地図を取り出しては地形と見比べ、パズル尾根を右に滑り、左に滑った。(写真5)
写真5:西飛山ダムへ下る

A

上半分は広く、すばらしい斜面だったが、次第に木立が多くなって、傾斜がきつくなってきた。13:10、668mのピークの手前の、枯れたブナの木のある所で休んだ。 そこから左に行くとクロ沢で、斜面を自然に下っていくとそちらに引きずり込まれそうだった。 しかし、前日の下見で、クロ沢は水量が多く、渉れそうなポイントがないと判断され、右側の能生川(のおがわ)へ降りた。 最後は横滑りで標高を下げて行った。 13:35頃、河原に降り立った。(写真6)

写真6:川原に降り立つ

河原を左に巻いていくと、前方に100mを越す巨大なコンクリの壁が立ちはだかった。 河原は西飛山ダムの底で、壁はダムの堰堤だ。 壁の基部近くまで行って渡渉した。 水かさは足首程度だった。 堰堤の左壁沿いの階段状のドロだらけの道を攀じ登った。 14:05、堰堤の上に出て、林道まで50m位登った。 ほとんど水平な林道をひたすら歩くと、15:15、道路に出た。 約7時間の行程で、登り累計500m、下り900m。



4月8日(放山往復)

A 翌日は放山から笹倉温泉へ下る予定だったが、下見でルートは雪不足で中止され、放山往復をした。 この日は火打の山頂は雲がかかって見えなかったが、反対側の権現山が立派な山であることに気がついた。 一部の人は残念そうに放山の山頂の果てまで行き、残った人々はのんびりとビールを飲んでいた。(写真7) 14時過ぎ、散会となった。 
写真7:放山山頂からの権現山

放山のGPS軌跡(荻野さん提供)