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大峰南奥駈道

実 施 日 2017年5月20日〜25日
リーダー 山行委員会 征矢三樹
報 告 者 小林(義)
参加者数 10名 (会員2名、非会員8名)

 昨年5月にJAC山行委員会主催で吉野から前鬼口まで奥駈けの前半部を踏破したが今回は後半部分で,前鬼から熊野本宮までの縦走を行った。昨年に劣らずアップダウンの大きい山道を避難小屋に寝泊まりしながら1日に10時間近くも歩く厳しい山行であった。
 
今回の山行には奥駈道を整備されてきた「新宮山彦ぐるーぷ」の絶大な支援があったことを特記する。そのきっかけを作っていただいた新宮在住の山上JAC会員、現地で指揮を取られた同グループ川島世話人代表、そして同グループ建築運営にかかる小屋で水を汲み、炊事をして我々をもてなしてくださった前田さん、生熊夫妻、梶野さん達に感謝の意を表したい。

「新宮山彦ぐるーぷ」とは 同HP等より

 昭和49年(1974)4月発足。昭和59年(1984)から奥駈葉衣会を主催された前田勇一氏の遺志である「さびれた大峯・南奥駈の道をよみがえらせ」ようという趣旨に共鳴して、荒れ果てていた太古ノ辻〜熊野本宮間の刈り拓きを、修験行者の千日回峰行になぞらえて「千日刈峰行」として三ケ年、47名が24回、延べ315回の出動で貫通された。その後二巡目として足かけ2年、更に40名が延174日を要し奥駈道を再整備された。
 更に「道は良くなったが、玉置神社から持経宿は遠過ぎて一日行程としては歩けない」と前田翁の遺志を実現するため岩盤を掘削し敷地を造成して行仙宿の山小屋を平成2年に完成された。併せて倒壊寸前の平治宿山小屋も翌平成3年に改築、持経・平治・行仙、三つの山小屋を整備、管理することによって南奥駈道は安全に縦走できることとなった。これは北アルプス白馬岳〜日本海への栂海新道を拓かれたサワガニ山岳会と並び称される偉業であると考える。
 今回6日間にわたり南奥駈道を歩いて要所にある同グループの道標や整備された避難小屋を見るとその功績の大きさに頭を下げざる得ない。
   



                         行 程 
 その名前は修験の道を表していて興味深い

 ただ一つ修験の道に相応しくない名前を見つけた。それは嫁越峠、太古の辻から進んで笹原の素晴らしい奥守岳を過ぎたところの峠の名称である。血族結婚を嫌う山脈東側の下北山村の住民が西側の十津川村からめとった嫁が越えてきた峠だそうな。何ともいえぬ風情と当地山間の奥深さを感じる。
5月20日 近鉄大和上市駅からタクシーで前鬼小仲坊 2時間20分 
21日 前鬼〜太古の辻〜嫁越峠〜涅槃峠〜持経の宿 8時間45分
                         通過したピーク(カシミールより)   13箇所
22日 持経の宿〜平治の宿〜転法輪岳〜行仙の宿 5時間20分        同    9箇所
23日 行仙の宿〜笠捨山〜貝吹金剛〜玉置神社 9時間20分         同    30箇所
24日 玉置神社〜大森山〜五大尊岳〜熊野本宮 川湯温泉泊まり 9時間10分 同 21箇所
25日 川湯温泉〜バスにて紀伊田辺〜帰宅


大峯奥駆道は修験道の開祖である役の行者が1300年前に開いたと謂われている。昨年5月に吉野山〜前鬼まで縦走し、今回後半部分前鬼〜熊野本宮大社まで縦走。前半部分に比べ歩く人はグッと少ない。なお小辺路は既に平成22年に6泊7日かけて踏破している。


軌跡の色の違いは上から5/21、5/22、5/23、5/24の歩いた軌跡である。


 5月20日 近鉄大和上市駅からタクシーで前鬼小仲坊へ
大和上市駅は何もない山間の駅。殆ど人の行き来はない。
平日とて特急電車もガラガラ。
北海道、青森、四国、首都圏など全国から13時に集まり2時
間半タクシーに揺られて山深い前鬼小仲坊へ
小仲坊は山深い。標高800メートル、国道169号の前鬼口
から標高差450メートルを遡った地点にある。
小仲坊の夕食。ここで取れたタケノコが美味。土、日だけ大
阪から61代目五鬼助義之さんが奥さんと通ってくる
役行者・前鬼・後鬼が祀られているお堂 明治の頃までは5軒の宿坊があったが、いまはマチュピチ
ュのような石垣が残るだけ。


5月21日 前鬼〜太古の辻〜涅槃岳〜嫁越峠〜持経の宿 7時間20分
急斜面に架かる木の階段を上ると両童子岩に出る。山伏の
行場である。
 傾斜が緩くなってくると大日岳が立派に見える。ツツジが
 岩峰にアクセントを添える。
登りついた鞍部は太古の辻。昨年はこれ以北を歩いた。今
回はこれ以南を踏む。
 太古の辻の道標。これから長い縦走が始まると思うと気が
 引き締まる。
新緑とヤシオツツジ  天狗山への上りで振り返ると釈迦ケ岳(1799米)と大日岳
 が大きく頭をもたげる。
気持ちの良い稜線を行く 前方に見える山並みの彼方まで行く
左の台形の山は明後日登る笠捨山(1352米)。遠い遠い シャクナゲは今が見頃。深紅の花もあり、目を奪われる。
今夜の宿泊場所、持経の宿。立派な小屋だ。 管理が行き届いた内部は快適で太陽発電の設備もある。
小屋で新宮山彦ぐるーぷ差し入れの氷で冷やしたギンギン
のビールを飲んで生き返る。
ずっしりと重い弁当も同グループが運んでくださった。町で買
った弁当は二日間も持たないし重くて大変である。


5月22日 持経の宿〜平治の宿〜転法輪岳〜行仙の宿 5時間20分
南奥駈道整備の恩人である前田勇一翁を顕彰する文 前田勇一翁。一事を成し遂げた人物の顔は素晴らしい
今日も快晴。出発! 持経千年桧 幹回り5.3米
千日刈峰行の看板 平治の宿
倶利伽藍岳 倶利伽藍岳からの展望、高野山方向
   行仙岳からの展望。遠くの鋭鋒は釈迦ケ岳(1799米)。釈迦ケ岳の下から歩き出し、中景右の転法輪岳(1281米)、
   左の倶利伽羅岳(1252米)を越え、さらにアップダウンを繰り返してここ行仙岳に至る。ここまでどれだけのピークを
   越えたことやら。これからもどれだけのピークを越えることか。まだまだ先の方が長い。
行仙宿での新宮山彦ぐるーぷの皆さんとの交流
正面左に山上JAC会員。左奥に川島世話人代表 明るいうちから懇親会
川島世話人代表から小屋建築の苦労話など拝聴する 何とこの稜線の避難小屋に新宮に上がった新鮮なマグロ
水は巻き道を20分下り、更にモノレールで標高差120米下る 小屋で全員写真
美味しい朝食も作っていただいた 小屋の内部。小屋の下は岩盤で建築には苦労された由


5月23日 行仙の宿〜笠捨山〜貝吹金剛〜玉置神社 9時間20分
  今日も快晴。小屋の前からはすぐ笠捨山(1352米)への急
  登が始まる
快晴の空に雲海。展望には雲のアクセントが欠かせない
  遙か遠くに釈迦ケ岳。しかしこれからの行程はここまでより
  更に遠い。
アルパインスキークラブから参加の二人
  笠捨山の急坂を下ると槍ケ岳の鋭峰。その背後にはコー
  ス中最難関の地蔵岳が待っている筈。
槍ケ岳への急登。地蔵岳の鎖場は下りとなる
更に更に進んで最低鞍部670米まで下り、ここから玉置山(1076米)まで上る。玉置山近くの展望台から笠捨山方面
正面笠捨山、左の小さい双子峰状は槍と地蔵、中景の尾根を一旦下って上り返すとこの展望台に至る。
 初めて熊野川の本流を見た。しかしここに下るにはまだまだ
 ピークを越える。
玉置神社。流石歴史が古いだけ森厳な雰囲気である


5月24日 玉置神社〜大森山〜五大尊岳〜熊野本宮 9時間10分

玉置神社  薄曇りながら今日も雨の心配はない。山中4日間雨具いら
 ず。しかし水不足で神社では風呂に入れず残念だった。
 玉置神社から下って今度は大森山(1078米)へと向かう  標高は低いが(825米)南奥駈道の鋭鋒。ここから350米の
 厳しい下りが待っている。雨中でないのが幸い。
大黒天神岳(578米)  明治22年大洪水まで社のあった大斎原(おおゆのはら)の大
 鳥居ここへはまだまだ周辺の山を巡って行く必要あり。
 林道の走る山在峠。吹越峠、更に最後の七越峯(262米)へ 熊野本宮大社へ3キロ。最後は岩混じりの急坂を上り下りし
て熊野川へ。昔は熊野川を渡河して大鳥居の神社へ。
我々は川岸をくだり、橋を渡って国道に出た。奥駈道を示す
国道の看板
左の峰からぐるりと回り込み、右側の山を急降下して熊野川
に至った。順峰の場合は河を渉ってここを起点として吉野へ。
そして最後は謂わずとしれた熊野本宮大社へ。これで満行

JAC山行委員会の皆さま    新宮山彦ぐるーぷの皆さま
学生時代からいつも頭の片隅に残っていた縦走でした。JAC山行委員会のお世話にならなければ
実現できず、また後半では地元新宮山彦ぐるーぷの皆さん方のご支援がなければ途中で断念する
羽目になっていたかと思います。本当に感謝、感謝です。

アルパインスキークラブの皆さま
体力の限界を感じだしているため、本年6月末でアルパインスキークラブを退会いたします。20年近くにわたっておつき合いを頂いた会員の皆さんに感謝いたします。おかげで第二の青春を満喫でき人生に大きな潤いを感じることができました。皆さまありがとうございました。
ホームページは外部に開かれた窓。いつまでも大切にして充実させてください。