小径自転車で旧碓氷峠を越えた

2022年5月30日、16インチの小径折りたたみ自転車で軽井沢から旧碓氷峠を越えて坂本宿・横川まで走行した。このルートは計画中の「旧中山道自転車旅」の一区間で、古くは律令時代、戦国時代、江戸時代に利用された古道で、歴史とロマンの一コマにタイムスリップした。走行距離17.91Km、走行時間6時間51分。

自転車を押して登高

 2022年5月30日、16インチの小径折りたたみ自転車で軽井沢から旧碓氷峠を越えて坂本宿・横川まで走行した。このルートは計画中の「旧中山道自転車旅」の一区間で、古くは律令時代、戦国時代、江戸時代に利用された古道で、歴史とロマンの一コマにタイムスリップした。走行距離17.91Km、走行時間6時間51分。
 二手橋から旧碓氷峠まで終始自転車を押し、旧碓氷峠からの下山は担いだり引いたりしたが、人馬施行所跡(標高1066m)を過ぎたあたりから座頭ころがし(標高794m)手前までの間の多くは自転車走行ができた。心配していた山ヒルは天気に恵まれて襲われることはなかった。
 軽井沢宿~旧碓氷峠(5:15~7:19)
 軽井沢宿(銀座から二手橋手前)は碓氷峠を越えてきた旅人で大変賑わった。明治時代以降、国道開通や信越線開通などで宿場は寂れだしたが、明治19年以降に欧米人宣教師の避暑地として変貌した。銀座通り脇道の明治天皇軽井澤行在所碑、旅籠鶴屋、ショーハウスなどを見学。二手橋を過ぎると遊歩道を自転車を押して見晴台まで登る。途中でヒル対策。見晴台からは妙義山が遠望できた。

 旧碓氷峠~坂本宿(7:30~11:00)
 旧碓氷峠には熊野皇大神社(長野県側)と碓氷峠熊野神社(群馬県側)が鎮座する。戦後、宗教法人法制定により県境に2つの神社が祀られるようになった。
 旧峠からしばらくすると急坂の長坂道で自転車を担いだり引いたりして降りていく。笹沢を過ぎる人馬施行所跡。ここからはなだらかな下り坂となり自転車走行ができた。
 まもなくすると古いコンクリート擁壁が見え、廃バスが残置する。この一帯は見晴台別荘分譲地跡で1970年代に小規模な別荘地開発が行われたが1990年代には衰退した。その先の山中坂を下ると少し広い森林帯に出る。この一帯には山中学校跡、山中茶屋跡が残る。明治11年、明治天皇はご巡幸のときに25人の児童に25円の奨学金を下附され、奉公官から十円の寄付があった。古道は、古代の東仙道、戦国時代を経て江戸時代の中山道整備、そして明治天皇の北陸東海地方巡幸、昭和の高度経済成長末期へと時代は移り変わり「歴史」が一気に通り過ぎるのを感じる。
 座頭ころがしから再び急坂。いくつかの石仏が現われ掘り切り跡を通過。天文18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を松井田城主大道寺駿河守が防戦するために道を細く両側を掘り切った。
 碓氷坂の関所跡、刎石茶屋跡、四軒茶屋跡を過ぎると弘法の井戸。「覗き」に来ると眼下に坂本宿が望める。古道は階段状となり柱状節理の岩場が現れる。落ちている石角で「パンクしないか」と自転車を引いていくがストレスが溜まる。やっとのことで国道に出て坂本宿へと入っていく。

坂本宿~横川(11:03~11:56)
 坂本宿は、寛永2年(1625)3代将軍家光時代に安中・高崎藩の領民を移住させ計画的につくられた宿場町で、松井田宿と坂本宿の間に碓氷関所が設けられた。
 宿場入口に坂本八幡宮が鎮座。そこから上の木戸跡、旅籠たかさごや跡・つたや跡・かぎや跡・中村屋跡、そして永井脇本陣跡、酒屋脇本陣跡、佐藤本陣跡などを見学して下の木戸跡で坂本宿は終わる。旅籠には、小林一茶、若山牧水などの俳人・歌人も多く宿泊した。
 坂本宿をあとにして、薬師坂、薬師湧水、川久保薬師堂を過ぎて川久保橋を渡ると碓氷馬車鉄道顕彰碑が建つ。明治18年に高崎駅~横川駅間、明治21年に直江津駅~軽井沢駅が開通したが、横川駅~軽井沢駅間は碓氷馬車鉄道で結ぶものの急勾配、急曲線のため線路や車輪の摩耗が激しいため1893年にアブト式の官営鉄道が開通、鉄道馬車は5年間で営業を終了した。
 街道の坂道を上ると碓氷関所東門跡が現れる。横川駅に近づくと横川茶屋本陣跡が建ち、峠の釜飯・荻野屋が見える。11:56、無事標高約387mの横川駅に到着し自転車旅を終えた。

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